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2022.11.01

祝「日本遺産」認定

祝「日本遺産」認定

山縣有朋記念館や矢板武記念館など、日本遺産に認定された矢板市の文化財を紹介!

○ストーリーのタイトル
「明治貴族が描いた未来〜那須野が原開拓浪漫譚〜」
申請者:那須塩原市・大田原市・那須町・矢板市
認定日:平成30年5月24日

【ストーリーの概要】
わずか140年前までの人の住めない荒野が広がっていた日本最大の扇状地「那須野が原」。
明治政府の中枢にあった貴族階級は、この地に私財を投じ大規模農場の経営に乗り出します。

近代国家建設の情熱と西欧貴族のへの憧れを胸に荒野の開拓に挑んだ貴族たち。その遺志は長い闘いを経て、那須連山を背景に広がる豊穣の大地に結実しました。

ここは、知られざる近代化遺産の宝庫。

那須野が原に今も残る華族農場の別荘を訪ねると、近代日本黎明期の熱気と、それを牽引した明治貴族たちの足跡を垣間見ることができます。
(写真は、明治時代の面影を残す旧青木家那須別邸)

【山縣有朋記念館】
矢板市で認定された文化財のひとつ、山縣有朋記念館。晩年の別荘として小田原古稀庵に建てられた洋館が関東大震災で崩壊したため、山縣農場内に移築されました。

記念館には、当時の洋風建築が多くみられ、お洒落な装飾を施した建具や、珍しいデザインも多くあります。
展示スペースは明治期の洋館から昭和時代の白い洋館2階まで広がっており、戊辰戦争や日清・日露戦争等、山縣有朋が関わった遺品や資料等が数多く展示されています。

【山縣農場】
山縣農場は、矢板市北部の上伊佐野・下伊佐野・平野地区に跨る山縣有朋により拓かれた農場です。
山縣農場の範囲については諸説ありましたが、最近になって明治17年に山縣側から国へ提出された官有地の拝借願が再発見され、その書類に農場範囲を示す絵図が添付されていたことから、おおよその範囲が確認されていました。
山縣農場は、戦後の農地解放を待たず、平地部分を昭和9年に小作人へ払い下げを行いました。そして山林については、子孫の方が現在でも管理を続けています。

【矢板武旧宅】
江戸時代の矢板村は、大田原の奥州街道から今市の日光街道へ至る「日光北街道」の宿場町として栄えました。
現在、矢板武旧宅は本庁交差点の角に位置しており、敷地南側の陸羽街道に面したところには、江戸時代から存在する大きな長屋門が構えられており、街道分岐点のランドマーク的な存在であったことと思われます。

【矢板のリンゴ】
矢板市は、標高の低い土地でリンゴが生産できる南限と言われ、現在は20軒弱のリンゴ農園が盛んに生産しています。
矢板市史によると、大正3年、山縣有朋が青森県から技師を呼び、苗木を植栽したのが始まりとされます。当初は成功しませんでしたが、昭和15年ころから収穫が始まったとされます。